IHI
IHI Corporation
IHI
IHI Corporation
日本・創業 1853年
世間
8/10
相手
6/10
自己
6/10
存続ライン(47)を 16 点上回る
世間
8/10
相手
6/10
自己
6/10
存続ライン(47)を 16 点上回る
水戸藩の造船所が、渋沢栄一の経営再建で日本の重工業の原点に
12項目
37/60
3軸
20/30
加点
+6
NCG
63/100
加点の理由:[時間+影響] 173年+黒船時代の造船から令和の宇宙産業へ
当時の状況
1853年、ペリー来航を受けて幕府が水戸藩に造船所の設立を命じ、石川島造船所が生まれた。1876年、平野富二が海軍省から跡地を借りて石川島平野造船所を開き、民営化した。1889年に有限責任石川島造船所として会社組織になり、1893年に東京石川島造船所へ改称して渋沢栄一が会長に就く。1924年に石川島飛行機製作所を設けて航空に参入し、1960年に播磨造船所と合併して石川島播磨重工業が発足、土光敏夫が初代社長となった。2007年に社名をIHIに改めた。
テレスの所感
IHIの原点「石川島造船所」は1853年、ペリー来航の年に生まれた。幕府が水戸藩に命じて造らせた造船所で、「黒船に対抗できる船を自分たちで作れなければ独立できない」という危機意識が出発点。1876年に平野富二が跡地を借りて民営化し、1889年に会社組織に、1893年には渋沢栄一が会長に就いた。1924年には飛行機製作所を設け、1960年の播磨造船所との合併では土光敏夫が初代社長に立った。173年後、航空エンジンとロケットを作っている。ただ2024年3月期には、約15%を持つPW1100Gエンジンの不具合で過去最大の最終赤字を出し、翌期に純利益1,127億円まで戻した。江戸の藩営事業が明治の民営化を経て、令和の宇宙産業に繋がっている。危機感から始まった事業が長く生き残るのは、スタートエネルギーが本物だからか、危機のたびに乗り換える力が身についたからか。
存続の鍵
黒船に対抗する造船所として生まれた国家的危機感が、173年分のイグニッションになり続けている。造船→重工→航空エンジン→ロケットと売り物は変わっても、「日本が独立するために自国で作る」という創業動機が新しい高難度領域に乗り移り続けた。
12項目スコア(37/60)
弱みI 資本効率
民間機エンジンが主戦場。1983年に日英米独伊の5か国でV2500エンジンの開発会社を設立し、世界の航空市場に参入
1853年のペリー来航で、黒船に対抗できる洋式船を国内で造る力が無いことが露呈した
幕府の命で水戸藩が造船所を開設し、1876年に平野富二が跡地を借りて民営化。藩の設備を民間の事業に移した
藩営から平野富二の個人経営、渋沢栄一が会長の会社へ。1960年の合併後は土光敏夫が初代社長を務めた
1924年に航空機へ参入、1960年に播磨造船所、1964年に名古屋造船と合併。2026年3月期の売上は約1.6兆円
1981年に三菱重工・川崎重工と日本航空機エンジン協会を設立。ただPW1100Gは約15%の持分参加で主導権は米側
航空エンジン・陸上・社会基盤が柱。2021年に民間エンジン整備の鶴ヶ島工場が稼働し、整備事業が回復を牽引
2024年3月期はPW1100Gの部品不具合で最終赤字682億円。2025年3月期に純利益1,127億円へ回復した
約15%の参画分の検査費用を負い、2024年3月期は営業損失701億円。共同事業のリスクを自社で制御しにくい
東証プライム上場。2007年に石川島播磨重工業からIHIへ社名を変え、総合重工業として上場を続ける
ペリー来航と同じ1853年に生まれ、1924年に航空機へ参入。危機と新技術の波に合わせて事業を乗り換えてきた
藩が始めた造船所を平野富二が民営化し、渋沢栄一が会長として会社を育てた。明治維新期の官から民への起業モデル
