NGraphエヌグラフ
花

花王

Kao

100年+ レジェンド·139年·日本・1887年
64
/100

世間

6/10

相手

8/10

自己

6/10

存続ライン(47)を 17 点上回る

存続 47卓越 75
アレテー(卓越性)

消費者起点の哲学。1973年に日本へ参入したP&Gとの約50年の競争が進化を促進

12項目

37/60

+

3軸

20/30

+

加点

+7

=

NCG

64/100

加点の理由:[時間+影響+資本] 139年+日用品の国産代表+国産高級化粧石けん「花王石鹸」

当時の状況

1887年、長瀬富郎(1863〜1911)が東京・日本橋馬喰町で洋小間物商「長瀬商店」を開いた。輸入品を扱うなかで石鹸の製造に乗り出し、外国製に並ぶ品質の石鹸づくりに成功する。1890年10月、桐箱入りの高級化粧石鹸「花王石鹸」を発売。同時に大阪へ代理店を置き、新聞広告を使って最初から全国を商圏に据えた。1902年には原料の仕込みから包装まで一貫して行う直営の請地工場が完成。社名は花王石鹸などを経て、1985年に花王となった。

Telesテレスの所感

花王139年の強さは「最強の敵と戦い続けたこと」にある。1887年、長瀬富郎は日本橋馬喰町の洋小間物商から国産高級石鹸に転じ、1890年に桐箱入りの花王石鹸を出した。発売と同時に大阪へ代理店を置き、新聞広告で最初から全国を狙っている。1973年、世界最大の消費財企業P&Gが日本で営業を始めた。花王はその直前の1971年に消費者の声を企業活動に生かす取り組みを強め、1983年にメリーズ、1987年にアタックと、日本の暮らしに合わせた製品を出し続けた。競争相手の質が自社の進化を決める。米国でP&Gが発明したブランドマネジメントを、花王は「消費者起点」という独自の哲学で受け止めたと言える。楽な市場を選ばなかったから139年もった。あなたの事業にとって、戦う価値のある最強の相手は誰だろうか。

存続の鍵

世界最強のP&Gを敵に選び、1973年の日本参入以来、逃げずに約50年戦い続けた。「消費者起点」という日本独自の哲学でブランド管理の本家に応戦したことで、鍛え抜かれた研究開発文化が社内に根を張った。敵の質が自社の質を決める。

12項目スコア(37/60)

Aターゲット市場4/5

日本の日用品市場で全国民が顧客。1960年の「ザブ」、1983年の「メリーズ」と品目を広げ続けられる市場

B課題の実在性4/5

高品質な国産石鹸がなく、輸入品は高価。1890年の花王石鹸は国産の「高級化粧石けん」としてその穴を埋めた

Cソリューション3/5

外国製に並ぶ品質の国産石鹸を桐箱入りで出した。1931年には品質を上げ、手に入りやすい価格で新装発売

Dチーム3/5

長瀬富郎は発売と同時に大阪へ代理店を置き、新聞広告を打った。日本のマーケティングの先駆者

Eトラクション3/5

1890年の発売時から全国を商圏に据え、1923年には吾嬬町工場(現すみだ事業場)を動かして生産を広げた

F参入障壁3/5

1934年に家事科学研究所を設け、家事を科学的に研究。研究開発力と「消費者起点」の哲学の土台になった

G収益モデル3/5

日用品の製造販売でリピート購入が基盤。1932年の「花王シャンプー」は洗髪の習慣そのものを変えた

H財務計画3/5

堅実な財務運営。1911年に合資会社、1925年に株式会社へと段階を踏んで組織を固めた

I資本効率3/5

1902年に原料から包装まで一貫の直営工場、1966年に花王製品専門の販社を設立。製造から卸まで一貫管理

J出口戦略3/5

東証上場(証券コード4452)。1954年に花王石鹸と花王油脂が合併し、一つの会社にまとまった

Kタイミング3/5

近代化期の衛生意識の高まり

L独自の洞察3/5

1971年、消費者の声を企業活動に生かす取り組みを強化。1973年に日本へ参入したP&Gとの競争が技術を鍛えた

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