シャープ
Sharp
シャープ
Sharp
日本・創業 1912年
世間
4/10
相手
4/10
自己
2/10
存続ライン(47)まで 12 点足りない
世間
4/10
相手
4/10
自己
2/10
存続ライン(47)まで 12 点足りない
亀山液晶の栄光から液晶過剰投資で破綻、台湾鴻海傘下へ
12項目
24/60
3軸
10/30
加点
+1
NCG
35/100
加点の理由:[ジレンマ] 亀山液晶への過剰投資直後にリーマン+韓中台頭で鴻海傘下
当時の状況
1912年、早川徳次が東京・本所で金属加工業を始めた。資本金50円、3人での出発で、同年にベルトのバックル「徳尾錠」を考案した。1915年に金属製の繰出鉛筆を発明し、これが「シャープペンシル」として社名の由来になる。1925年に国産初の鉱石ラジオを量産し、1964年に世界初のオールトランジスタ電卓、1973年に液晶表示の電卓を出した。液晶に賭けた同社は2004年に亀山工場、2009年に堺工場を稼働させたが、値崩れで巨額の赤字に陥り、2016年に台湾の鴻海の傘下に入った。
テレスの所感
シャープは「日本電機メーカー敗北の象徴」。2004年に亀山、2009年に堺と液晶工場へ巨額を投じ、2005年度には液晶テレビを年400万台売った。だが堺が動き出したのはリーマン・ショックの直後。韓中メーカーの台頭で液晶価格が崩れ、2013年3月期に5,453億円の最終赤字、2015年3月期には自己資本比率1.5%まで追い込まれた。引き返せなくなり、2016年に鴻海が3,888億円を出資して議決権の66%を握った。技術者経営の典型的な落とし穴——「我々の技術は最高だから守れる」とコモディティ化を見誤った。鴻海傘下では2018年3月期に4年ぶりの最終黒字に戻したが、2024年にはテレビ向け液晶の生産を止めた。「他社がまねする商品をつくれ」という創業者の言葉は、まねされた後の戦い方までは教えてくれなかったのかもしれない。
失敗の核心
「亀山液晶への過剰投資+リーマンショック+韓中台頭」の三重苦。技術者出身経営が「我々の液晶は最高品質」と信じすぎ、コモディティ化を見誤った。堺工場($30億)と亀山工場($20億)に巨額投資した直後にリーマンショック+韓国Samsung・LG+中国BOEの台頭で液晶価格が半分以下に。引き返せなくなった。鴻海買収後は黒字化したが、日本電機メーカー初の外資傘下となった象徴。
12項目スコア(24/60)
弱みD チーム・E トラクション・F 参入障壁・G 収益モデル・H 財務計画・I 資本効率・J 出口戦略・K タイミング・L 独自の洞察
液晶テレビは2000年代に急拡大し、2010年代に成熟して値下がりした。2024年にテレビ向けパネル生産を止めた
より大画面・高画質のテレビへの需要。だが液晶パネルは数年で誰でも作れる部品になった
パネル製造からテレビの組み立てまで一つの工場で行う「亀山モデル」。だが韓中の規模に勝てなかった
町田勝彦(1998〜2007年)、片山幹雄(2007〜12年)と液晶に賭けた社長が続き、財務の歯止めが弱かった
2005年度の液晶テレビ販売は国内外で400万3,000台、前年比47%増。だが頂点は短く、その後失速した
亀山ブランドと液晶技術。だがパネルがコモディティになり、技術の差は数年で意味を失った
2005年度は液晶テレビ4,107億円、液晶部品8,575億円。液晶頼みの構成で、崩れると全体が揺らいだ
2013年3月期に5,453億円の最終赤字。2015年3月期には自己資本比率が1.5%まで落ち込んだ
2004年に亀山、2009年に第10世代の堺が稼働。巨額の液晶投資が値崩れで回収できず、裏目に出た
2016年、鴻海が3,888億円の第三者割当増資を引き受け、議決権の66%を握った。創業家の手を離れ外資傘下に
堺の稼働は2009年、リーマン・ショックの直後。韓中メーカーの台頭と値崩れに正面からぶつかった
「自社技術が最高だから守れる」と過信し、液晶がありふれた部品になる速さを見誤った
